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初めまして、中島諄と申します。横浜に住んでいます。今、良寛の生涯について調べています。
江戸後期に、分水町周辺の人たちで、「東村の叟」と呼ばれていた庄屋・町年寄・豪商などが協力し合って、河川や河川敷の工事をしたと聞きました。大河津分水路のことかと勝手に解釈していましたが、貴社の記事を読んで誤解していたことが分かりました。
まことに勝手なお願いですが、江戸後期・良寛生存中にそんな出来事があったか調べていただけないでしょうか。何でも、30年かかったそうで、良寛の死の翌年に阿部定珍という人が工事に関わる訴訟をおさめて、工事が修了したということなのですが・・。
http://blogs.yahoo.co.jp/odokkotarou
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