|
3月29日にMと一緒に松江の美術館に行き、「川端康成と東山魁夷」展を見てきた。川端氏の収集物に圧倒されたが、その中に昨年発見され話題になった初恋の人との往復書簡も展示されていた。
また先日は谷崎潤一郎の創作ノートが発見された、とこれまた大きく報道されている。
我々が彼らほどの人物になっていたら、今回の貴君の発見も大きく取り上げられたであろうに、残念ながらそこまではゆかなかった、というわけだ。
「兄弟の契り」の話、具体的には覚えていないが、高校時代のKはHにある意味敬意の念を抱いていたからそんなことを書いても不思議ではない気もする。まあ、青春時代の行動としては許してもらえるのかもしれない。
集落の方がまた亡くなり、昨日通夜、今日が葬式であった。集落の人口がどんどん減ってゆく。我々世代が死ぬると集落は機能しなくなるであろう。
近くに城跡がある。総人口が今よりずっと少ない戦国時代でも集落が存在していたわけで、当時はいかなる形式で集落を形成していたのか、不思議な感じがする。
|
|